2011年03月24日

東日本大震災@

地震の名称がどんどん変わっていきます。
そんなことどーでもいいんですがw

実家が被災して一週間が経ちました。
私は無事に日曜日に実家の宮城にたどり着きました!
青森から秋田に入り、角館、横手、湯沢を通って鳴子に入りました!

まずは朝の7時前からガソリンスタンドにならび、2000円分給油して青森中央インターから県境の碇ヶ関インターまで行き、秋田に入りました。

道中、大館で給油したんですが一人1000円分のみでした…。だけど、救援物資が積まれた宮城ナンバーの俺の車を見て、「宮城にいくんですか?」と聞かれたので、「実家が被災したので…」と言ったら、満タンにいれてくれたんです…‼!
その時点で半分しかガソリンが無かったので本当にありがたかった…
最後に「早く宮城に帰ってあげてください」って(´・_・`)
本当にありがたい…。


実家から灯油が無くなりそうという連絡があり、角館のスタンドで給油がてら灯油を買おうとしたんですがポリタンクが無かった…
スタンドもポリタンクが売り切れで、近くのホームセンターでも売り切れだということ。
で、灯油は諦めようと思ったとき後ろの車に乗っていた4人の俺と同年代くらいの男女の方々が、「宮城にいかれるんですよね?ポリタンクないんですか?よかったら使ってください!」って、二個しかないポリタンクのひとつをくれたんです…

涙がでた。

本当にありがたかった…
そしたらスタンドの方も被災地のためにとカップ麺を5つもくれた!
カップ麺は青森でもあまり確保できなかったんで、すごい助かった。
宮城ナンバーってだけでこんなに助けてくれる…
秋田の方々の優しさが身に染みた。
日本人でよかったと心から思った(´Д` )

あとは順調に走り、スタンド見かけるたびに並んで給油していった。


実家に着いたのは11時間後。
唖然とした…
ろくに休憩、食事しないで走ってたから疲れもあったんだけど、一気に力が抜けた。
母屋は無事に建ってるんだけど隣のおばあちゃんが寝てる旧家が傾いてガラスが割れて、瓦礫が散乱してた。
家のなかも散々でした。
市役所の方々が来て、要注意のシールを貼って行きました。水槽の魚も停電で酸素がなくなり亡くなってました…

RIMG1682.JPG


RIMG1694.JPG

RIMG1702.JPG


それから今日まで自宅の復興作業。
父はガソリンが無いため会社に寝泊り。

食料は毎日近くのお店を回ってすこしずつですが確保してます。お米はあるので大丈夫ですが。
昨日から野菜や肉が少しずつ手に入る様になり、久しぶりに青い野菜と魚を食べることができ本当に嬉しかった…

ちなみに、水と電気はおとといに復旧したのですこし楽になりましたが、同時に罪悪感が…
石巻や名取、気仙沼の方々は寒い避難所生活をしいられているのにって。

あと、近所の暖かさにも感激(^^)
わりと豊富に備蓄がある方は、困ってる方に分け与えてたり慎ましくも暖かい生活を送っています。

そうゆう中、相次いで報道される首都圏でのガソリンや食料の買い占め、停電への文句。
イライラする。
首都圏の方々でも協力してくれる方も本当にたくさんいてありがたいです。

しかし、それと同じくらい呆れた行動する人もいる。
秋田の方々のやさしさ、被災地の方々のやさしさを感じたからこそ、首都圏の方々の行動に失望する。

昨日、マイミクじゃない首都圏の方からメッセが来て、自分たちにできることがあればと言ってくれた。俺は、第一に燃料と食料が欲しいが、それよりも首都圏での買い占め現象を少しでも減らして欲しいといいました。お金を使わないでくださいって。

日持ちがしない牛乳や魚はもう在庫がありません。被災地の方々は保存の効くものしか口にできていない。

電気や電話、暖房ですら被災地では分け合っているんです。

それと、計画停電は私たち東北のためじゃありません。あなたがた首都圏のための計画停電です。福島原発は東京に電力を供給してるんです。
なので、その計画停電を東北のせいにしないでください。ブーブー言わないでください。ぶっちゃけ知ったこっちゃないです。

私からのお願いはまず、買い物は普段どおりにの買い物をしてください。
ガソリンもいつも通りの量を給油してください。

首都圏の方々は普段どおりの生活をしてください。
posted by hiro@RN6 at 19:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。